「五條珠淑」さんを初めてTVで拝見したのは、今から50余年前、福助足袋が提供する公開番組の審査員を務めていらっしゃる時でした。
『源平芸能合戦』(げんぺいげいのうがっせん)は、1957年1月9日〜1964年10月31日までKRテレビ→東京テレビ→TBSテレビで放送されていた視聴者参加型バラエティ番組である。福助足袋(現:福助)一社提供。
出場者2チームを番組タイトルにちなんで、源氏と平氏に見立て、歌謡曲、浪曲、物真似、舞踊、奇術等の素人芸を披露するという後の3年後の1960年にスタートする毎日放送の『素人名人会』や20数年以上経った1983年に同局でスタートすることとなる『たけしのお笑いサドンデス』といった「テレビにおける、素人による演芸披露番組」の草分けとなる。優勝チームにはスポンサーにちなんで「福助賞」、応援が特に優れていたチームには「応援賞」、(優勝の有無に関係なく)特に目立った活躍した出場者には「個人賞」等といった一つの賞にとらわれず、様々な賞を設けてあるのもこの番組の一つの目玉だった。
面長で目が大きく、優しい中にきちんとした物言いをする美しいじょせいだなあと子ども心に憧れたものです。現在91歳で「日本舞踊五條流の家元」として、お稽古に励まれているお姿に接して、敬老の日にふさわしい記事だと感慨深いものがあります。この記事を書いてくださった《札幌支局の藤井記者》さんに感謝致します。
「今でも踊りのお稽古(けいこ)は週に3日はしています。お弟子さんの発表会に出てくださいといわれることもありますし、結構忙しいですよ」と明日待子こと正派五條流宗家家元の五條珠淑(たまとし)さん(91)は、札幌市内の稽古場で背筋をピンと伸ばして話す。
本名は須貝(すがい)とし子さんという五條さんは大正9(1920)年、岩手県釜石市で生まれた。
9歳のときに父親が死去。母親孝行したいと女優を志し、東京にいる姉を頼って松竹蒲田撮影所の門をたたいたりもした。娘さんになったらおいで、と助監督に言われて映画をあきらめた五條さんが次に向かった先が、昭和6(1931)年の大みそかに開館したばかりのムーランルージュ新宿座だった。
8年に13歳で初舞台を踏むと、またたく間に人気者になる。男の子役としてお芝居を演じたほか、踊りや歌でも大活躍。新聞や雑誌などの広告でも引っ張りだこで、カルピスの「初恋の味」初代モデルも務めた。
「演じる方も、明日死んでもいいと思ってやっている。それくらい命がけの舞台でした。だから感激があるんです。とにかく当時は、いい舞台にしたい、みなさんに喜んでいただきたい、というだけで無我夢中でした。」
映画になって「ありがたいことです」と話す五條さんは、自分の人生を振り返って、本当に幸せだったと打ち明ける。
「ただただ前を向いて、好きな踊りをやってきて、こんないい人生はありません。今も元気で毎日が楽しいですし、だからありがたいなと思っています。何もかも無我夢中でやってきたから、運命がこういう風に運んでくれたのかな、と思いますね」




by tomoe_saloon
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